児童期の瑚心すくい
小学1年生になると弟が出来たので、なおさらお兄さんを意識される。
弟は赤ちゃんだから可愛いけど、両親が留守の時は、おしめの交換からなんやかんや面倒を見なければならない。
アパートの駐車場では友達が遊ぶが、羨ましく眺めてなければならない。
弟が外で遊びたいというので、友達に紛れよちよち歩きの弟と遊んでいたら、
両親が買い物から帰宅。即座に父親に背中から蹴っ飛ばされ砂利道へ転倒。
痛いという暇もなく家の中で往復ビンタの応酬だった。
泣く暇はなかった。
それはいいとして、
小学生になると、学校の教育の影響で、男女の差というものを感じてしまう。
まずは制服。私は小学校5つの府県またがっているので制服でないところもある。
当然、制服はスカートを履きたくなりますよね。
なんで男性と女性でこうも違うのだろうと思った。
ただ、おかしい話なのですが、女の子が描く絵をみたり(花の絵とか)
するだけでも羨ましくて、女の子として絵をかいたり、花に水をあげたり、
したくて家で真似したりしていましたね。
母親には見られないように、怪獣が書いてあるノートだったりして。
そうなんですよ。
心が女の子として日々を過ごそうとしていたんですよ。
それでも、体は男の子なのだ。
そう考えても、頭を振りまくっても男は男なのだ。
でも学校ってところはイヤなところです。
何かある度に男の子と女の子を分ける。
いずれ年を重ねるうちに自然に洗脳されていきますよね。
実際、大人になったら、仕事は男性、家庭・子育ては女性
そういう世の中になった。
私の児童期は男女平等という言葉が社会では叫ばれてました。
その始まりは児童期の教育には始まっていたんですよね。
今の世の中になって、LGBTという言葉が認知された。
それでも文部科学省はどうしたらいいかわからないみたいだ。
アンケートをとってLGBTの傾向を報告されても
何にもならない。私は中学校の先生向けにLGBTの講演をしたことがあるが
結局、どうしたらいいのかわかるまでの会話はできなかった。
今、子どもたちには男の子と女の子だけが存在する教育は捨てなければいけない。
IS(インターセックス)もしくはDSD(性分化疾患)、いわゆる男性の性器と女性の性器両方を持って生まれた方もいる。約2000人誕生する乳児の1人にあたるそうだ。
そういう現実も教えていかなければいけないと思う。
どうだろう。昔、あなたは性同一性障がい(現在は障がい扱いはされない)ですか?
って聞かれたら、「はい」っていえたかな?